苦しみという材料

 ありがたいことに腰は順調に回復しております。ふと病院でのことを思い出したのですが、リハビリを嫌がるおばあちゃんがいました。高齢での手術ですからリハビリも大変だと思います。ですが、痛いからとリハビリをしないと歩けなくなってしまいます。私も最初のころは右足に違和感があり、歩くことが怖いとも思いましたが、とにかく歩き続けました。そうすることで以前のように普通に歩けるようになりました。


 苦しいときこそ今が最低だと思うようにしています。明日は一歩進み、明後日にはもう一歩進む、そうすることで少しずつ前に進むことができます。ところが、今の苦しみが永遠に続くかのように錯覚してしまう人もいます。そういう人は絶望するしかなく前に進めません。そのため今の状態がいつまでも続くのです。たとえ苦しくとも歩こうとしなければ、歩けるようにはなりません。


 今の苦しみと向き合う姿勢は人によって違います。自分の姿勢が苦しみを克服するものなのか、苦しみのなかに埋没するものなのか考えなければなりません。苦しみのない人生はありません。それぞれに苦しみが与えられているのかもしれません。その苦しみとの付き合い方によって、苦しみが幸福になることもあれば、抜け出せない不幸になることもあります。与えられた材料をどのように調理するかは自分で決めることができます。そして上手に調理するためには、調理方法を学び腕を磨かなければなりません。




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