平凡と非凡の違いとは

 息子が毎日走ると言い出しました。ところが、週末は走らない、体調が悪いから走らない、寒いから走らないと、結局あっという間に断念してしまいました。そんな息子を見ながら、私もけして長続きしない自戒と期待を込めて継続することの大切さを伝えました。どんなことでもいいから続けることで継続力を養うことができ、それによって人はより大きなことができるようになれます。


 最初から大きなことができる人はいません。大きなことをしている人は、小さなことを積んでいる人なのです。数回の努力で結果を求める人もいれば、黙々と10年も励む人もいます。世の中にはたしかに幸運というものがありますが、幸運に安住する人のもとからは、すぐに逃げ出してしまいます。幸運が求めて訪れ居座るような人は、チャンスをものにできる人とは、やはり継続の人なのです。


 人間にとっても困難なことは難しいことに挑戦することではなく、単純なことを続けることです。よく基礎が大事といいますが、球技やゲームでもルールを覚えるとすぐに試合がしたくなります。ですが、華やかで楽しい試合ではなく、地味な練習を続ける人ほど上達していくものです。1+1=2なのですが、これを1+1=5や10にしたくなるものです。ところが、1+1の結果が思うようにいかないと、すぐにつまらなくなってしまいます。


 非凡な人は1+1=1にしかならなくても、その1を積んでいきます。1は1年で365、10年で3650になります。着実に日々を積んでいこうとする姿勢こそ大切なのです。どのような人であれ、最初の一歩も日々の一歩もほとんど違いはありません。平凡な一歩を継続してこそ非凡になることができるのです。



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