自殺願望に処す

 よく自分の存在理由が分からないと嘆く若者がいますが、それは至極当然のことだと思います。私達は生まれながらに指令書を持って生きているわけではないのです。人生とはパズルのようなものだと思います。ある程度を組み立てないと、どういう絵なのか分からないのです。まして完成図もありませんから、自らの試行錯誤のなかで作っていくしかありません。ですが、確実なこととして無意味なパズルは存在しないのです。それぞれに意義があり素晴らしいパズルを与えられているのです。


 若者の自殺願望が話題になっています。誰しもこんなことなら死んだほうがましだと思うことがあります。仏教ではこの世界を苦界といいますが、生きることには苦悩が伴うものであり、それでもなお生きていくというのが人間の姿なのだと思っています。もしかしたら苦悩するのを、あたりまえのことだと考えたほうが楽なのかもしれません。苦悩のない人生を求めることこそ欲であり、道理に反することなのかもしれません。


 人生とは与えられるものだと考える人もいます。生まれ育った環境、与えられた能力や容姿、与えられる様々なご縁は、けして自分で選べるものではありません。不平等に与えられながら、人生は自己責任だといわれれば、反発したくもなりますし、投げ出したくもなります。ですが、現実や真実などあらゆる面から考えても、与えられた人生を精一杯に生きるという選択肢しかないのです。たとえ今すぐに受け入れられないとしても、少しずつ自分なりに納得していくしかありません。いずれかの時期に自分の人生をきちんと背負えるようにならなければならないのです。たとえ、それが重い荷物だとしても、覚悟を決めて背負うしかなく、それが生きるということでもあります。




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