捨てる習慣、拾う習慣

 私達は子供の頃から夢や個性を持つことが大切だと教えられ大人になっていきます。子供心に今は持っていなくても、そのうち大人になれば自分も夢や個性が得られるかもしれないと希望を抱くのかもしれません。ところが、「そのうち」がいつまでたっても得られないまま人生の折り返しを過ぎるということがあるかもしれません。もしかしたら一般的には夢や個性というものとは無縁に生活しているのかもしれません。


 よくよく考えてみれば夢や個性を持っているから偉いというわけではありません。楽しそうに生きているから幸せというわけでもありません。まわりから押し付けられる価値観に迎合しても反発しても苦しいだけなのかもしれません。それよりも周囲と比較して考える習慣を捨て、比べることなく自分が満足できる習慣を持たなければならないのだと思うのです。そうすることで自分という人間の過不足に一喜一憂することなく、ありのままに満足することができます。


 大人になれば、いつの間にか自らの方向性というものが固まってきます。人生を歩めば歩むほど、無限にあった可能性は絞られ、着地点が見えてきます。もしかしたら期待していた場所とは違うかもしれませんが、折り合いをつけていかなければなりません。現在の自分とは、これからの自分とは、生まれてより今日までの様々な御縁、御恩、偶然、成功、失敗、努力、怠慢、選択などの交差によって存在しています。それら一つ一つを検証して評価することなどできません。そもそも人間を評価したり差別することなどできないのです。大切なことは自分という人間を評価せずに愛おしむことだと思うのです。「こんな自分ですが、こうして日々頑張っています。」と胸を張ることができれば、それだけでいいのだと思うのです。 




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