議員に思う人の道

 国会議員の不祥事が続いています。国政を担う人間が国益よりも私事に、しかも欲に翻弄されているのでは、日本の将来に夢を持つことも、希望を託すこともできません。日本にも私財・身命を投げうって国に尽くした政治家がいましたが、今では私利私欲が横行しているようで残念です。最近、続いているスキャンダルは日本人の品位というものが低下していることを象徴しているかのようです。


 相手のことや公益性を考えることができず、自分のことしか考えられないとしたら、社会のなかで生きていくのは大変だと思います。また、そういう人間が増えれば社会は崩壊してしまいます。家庭においても「人のことはいいから」とか「まず自分のことを考えなさい」と教える親も増えているようです。そういった家庭で育てば、学校でもあまり生徒の人間性に関わらない教師も増えており、相手のことを考えるという人としての基本が理解できないまま成長してしまいます。


 広く社会を見渡せば様々な人であふれています。誰にも一長一短があり、それが個性でもあります。ですが、何事にも限度があり、自分の言動が周囲に迷惑をかけたり不快にさせていると気づくことができたならば、やはり改めなければなりません。もし、気づけないとしたら相応の孤独や迫害を覚悟しなければならないのかもしれません。お互いに自分の感情や利益ばかりを優先しようとすれば、人間関係も社会も成り立ちません。


 大人とは自分を制御して正しい選択ができる人です。そのためには自分の欲や感情に翻弄されてはいけません。正しい選択のためには知識や経験も必要ですし、物事を客観的に考えることができなければなりません。もちろん人間は神仏とは違いますから、弱さや愚かさも抱えています。ですが、そこに甘んじることなく自らを律し生活していくことに、人としての道があるのではないかと思うのです。



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