脆く儚い心

 ある観音巡礼の先達をしてきました。いつか巡礼してみたいと思っていても、個人では道中にも不安がありなかなか巡礼できずいた地元の方々を対象にした巡礼です。ところが、そのなかに一人だけ、いかにもという方が紛れ込んでしまいました。一人だけ巡礼用の白装束をまとい、合間にはうんちくを語り、終いには巡礼以外の会話している参加者のことまで文句を言います。募集チラシには初めての方が気軽に参加できるツアーであることを明示していました。


 小学校1年生の授業に6年生が混じっているようなものです。6年生であるならば、6年生のクラスか中学生のクラスを目指すか、もしくは丁寧に1年生の指導をしてくれればいいのですが、6年生が1年生をからかいにきたようなものです。人間には勝手なランクをつけて自分よりも下だと思う人間に傲慢な態度をとりたくなることがあります。丁寧な指導と傲慢な態度の違いは、その人の人間性にかかっています。


 人間は自らの欲や怒りによって思わぬことをすることがあります。事件や事故の報道を見ていると信じられないと思いながらも、普通の人間が些細なことで信じられないことをしてしまうことがあります。テレビ画面の向こうは他人事ですが、いつか自分が登場するかもしれないと心を引き締めなければなりません。こう考えると正しいことを正しく判断して実行すること、あたりまえのことをあたりまえにおこなうことの難しさを感じます。人の心は脆く儚いからこそ、いつも丁寧に扱わなければならないのです。




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