雲在嶺頭閑不徹

 私の所では毎年お正月に客間の掛け軸を変えています。今年は「平常心是道」と「嶺頭雲閑々」という掛け軸です。この言葉は「雲在嶺頭閑不徹、水流側下大忙生」という言葉から取られたものです。雲は嶺頭(かんとう)に在って閑不徹(かんふてつ)、水は側下(かんか)を流れて太忙生(たいぼうせい)と読みます。雲は山の上にあって悠々としている、水は渓谷を忙しそうに流れている、という意味です。


 山の上の雲は「静」を表し、流れる水は「動」を表しています。この静と動はどちらも無心であるのに対して、私達人間は静かなときも動いているときも、なかなか無心にはなれないものです。また、静のなかに動があり、動のなかに静があるという意味もあります。この言葉は禅語のひとつですが、仏教のなかでも禅は難しいのですが深みもあります。忙しい日々にあっても、静かな落ち着きを持ちたいものです。


 私がこの言葉で惹かれたのは山の上の雲です。雲は大空にあって風か吹けば流され、風がやめば留まります。ですが、風に翻弄されているのかといえば、そうではなくいつも自在に悠々としています。私達は様々なものに翻弄され、思うようにはいかず嘆いてばかりです。もっと雲のような大らかさが必要だと思うばかりです。人生には様々なことがありますが、悠々とした態度が良き方向へと導いてくれるのかもしれません。心のゆとりを大切にしたいものです。



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