霊や因縁にかこつけて

 たまにチラシで易などの鑑定会の案内を見かけます。結婚できない、職を転々とする、借金、浮気、酒、ギャンブル、家業の衰退、不登校、裏切り、心の病、家庭内問題など人間のほぼすべての悩みが網羅され、これらの問題の根本には悪因縁や不成仏霊が関わっていると書かれています。そして「目の前の不幸から逃げないでください。間違った方向に進む前にご来場ください」と締めくくられています。


 正当な仏教ではこのようなことは宣揚しません。お釈迦様も歴代の祖師の方々もそのようなことは誰も言っておりません。それよりも自分の不幸を他のせいにするなと教えておられます。仏教では幸福も不幸もすべては自分が作っているものと考えるのです。昔から日本では祟りや霊というものが定着しています。今の子供達からも霊は見えるのと質問されることもあります。無宗教と呼ばれる現代日本においても、なぜか霊に関するものは受け継がれているようです。


 人間は問題を抱えなかなか解決しないと、その原因を探そうとします。自分に非がなく、まわりを責める必要もなく、納得できるものとして霊や因縁というものに飛びつきたくなる心理も分かります。ですが、それは問題からの逃避ではないかと思っています。私も祈祷をさせていただきますが、他力本願ばかりでは成就しないと考えています。自分の問題に向き合おうとする気持ちがなければ意味がないのです。問題が長引くのは、長く問題を放置してきたからです。見て見ぬふりをするほど問題は深刻化していきます。深刻になってから何かにすがるのではなく、病気と同じように早めの処置が大切ではないかと思うのです。


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