「どうしようもないこと」

 仏教には因果応報という言葉があり、近年は自己責任という言葉も登場しました。これらの教えや意味は、失敗や不満を他人や社会のせいにするのではなく、ますば真摯に受け止めるためのものではないかと思っています。私達はどうしても、自分以外の誰かに責任を押しつけたいと思ってしまうことがあります。ですが、それでは失敗から学ぶことができませんし、不満を解消することもできないのです。他の誰でもなく、自分で受け止めるからこそ、自分の力で対処できるようになるのです。
 
 ところが、失敗や不満を自分の責任として考えてみると、必ずしもすべてが自分の責任ではないという答えが見えてきます。まずは、責任転嫁することなく、自分で受け止めてみなければなりません。ですが、すべて自分の責任として自分を責める必要もないのです。考えてみるならば、「どうしようもないこと」が多々あるのですから。たとえば、入社試験に失敗したとして、自分の勉強不足や準備不足ということもありますが、試験の日に風邪を引いてしまった、他のライバルが優秀であった、会社との相性が悪かった等、様々な要因があるかもしれません。
 
 失敗や不満を考えるときには、必ず自分の責任と、自分以外の要因についても考慮しなければなりません。反省すべきところは反省し、あきらめるべきところは、あきらめなければならないのです。失敗や不満を的確に捉え、ちゃんと線引きしなければならないのです。反省し気持ちを切り替えるからこそ、次のステップに進むことができるのです。失敗や不満のない人はいませんが、失敗や不満に囚われてしまう人は、しっかりと線引きできない人なのです。
 
 世の中には「どうしようもないこと」がたくさんあるものです。星の数ほどの人間が同じように暮らしているのですから、自分の思い通りにはいかないものなのです。様々な歯車が絡み合い、この社会が成り立っているのですから、歯車の組み合わせによって、自分の力の及ばないこともたくさんあるものです。努力しても報われないのは、どんなに願っても得られないのは、失敗や不満がつきないのは、自分一人で生きている訳ではないからなのです。大勢の人間と共生しているからこそ、「どうしようもないこと」が尽きないのです。反省を欠かさないこと共に、「どうしようもないこと」を上手に受け止めることが大切なのではないでしょうか。


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