お金でお願いすること

 市場経済の象徴のようなアメリカにあっても、以前は社会規範を主とした生活をしていたそうです。ところが、いつしか信頼よりも金銭が社会の主になっていったそうです。日本においても人間関係は縮小するばかりで、その穴を埋めるかのように何事においてもお金を払ってお願いすることが常態化しています。


 お互いさまということで周囲にお願いしていたことも、今ではサービスとして業者にお願いしています。葬儀などはまさにそうで以前は村や隣組でおこなっていたのが、葬祭業者に任せるばかりです。時代の流れといえばそれまでなのですが、無償でお願いするよりも、お金を払ったほうが楽だと思ってしまう感覚には注意しなければならないと思うのです。


 人類は長らく相互依存の生活をしてきました。その基となるのはお互いさまという信頼関係です。人間は一人では生きられないからこそ、お互いに助け合うのであり、いかに文明が進歩しても、この基本構造は変わらないはずでした。ところが、関係性が脆弱になるとそれまで信頼していたものが、面倒になり怖くなり金銭を信頼するようになりました。


 心のない金銭であれば文句を言われることも裏切られることもありませんが、幸福ということもありません。金銭によって幸せになれると勘違いすることもありますが、誰もがいつかはその正体に気づき虚しくなるものです。コロナ禍にありリアルとバーチャルの境界も曖昧となり、ますます異質な世界に突入している気がします。いかに時代に変わっても、けして変わることのない真理を見つめなおしたいものです。