平和への橋を架ける

 ロシアのウクライナ侵略に対して中国は静観しているようですが、アメリカと中国の首脳が電話会談したそうです。ですが両国ともそれぞれの思惑があり、簡単に一致することはないのでしょう。単純な正義よりも、自国の立場をいかに有利にするかが外交というものです。外交ばかりではなく、経済をはじめ社会活動とは打算や思惑で成り立っているのかもしれません。


 打算や思惑が優先されれば道理が通らなくなります。若者がこの世界に失望するのは正義や道理よりも打算や思惑が、この世界を左右していることを知るからなのかもしれません。ですが、打算や思惑も社会の指針のひとつであり、潔癖に(ある意味、盲目的に)突き進むよりも、打算や思惑を理解することも必要です。


 まったく価値観の違う人間が交渉しても成立も妥協もありません。相手の価値観や思考への理解や共感も求められます。自分と相容れないものであっても、最初から拒絶するのではなく、橋を架けるという作業が大切だと思うのです。争うことは簡単ですが無意味です。意義あることは、平安を作っていくことです。お互いの心の平安も世界の平和も忍耐をもって橋をかけていかなければなりません。