本音に憧れても

 多くの人々が建前のなかで暮らしています。この建前と対になるのが本音なのですが、誰しも本音でありのままに暮らしたいと思うかもしれませんが、大人になれば立場や世間体などもあり、思っていてもなかなか言えないことが多いものです。思ったことが言えないのはストレスですが、孔子の「七十にして己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず」の境地でなければ、本音の生活は人間関係を疎遠にしてしまうかもしれません。


 無神経な言動にイライラしても、じっと堪えることで忍耐力を養うことができます。理性があるからこそ、本音を抑えて生活できるのです。理性と感情が格闘し、理性が負けてしまえば恥も外聞もない人間になってしまいます。言いたいことが言えてしまう人間に憧れることもありますが、そうなってしまったら怖いものです。


 基本的に人間の生活とは思うようにならないものです。不自由をあたりまえと思うことで、イライラや不満も少しは落ち着くというものです。今の自分の我慢は、自分の器を大きくし、相手との関係をあえて壊さず、周囲に嫌な思いをさせない、素晴らしい行為なのだと思いたいものです。そもそも常識のない人には何を言っても伝わりませんから、沈黙こそが最良の選択なのかもしれません。