いつまでも、あると思うな何事も

 ネットで「自由すぎて自由に気づかず、何でも出来るのに、何もしていない人は誰ですか。」という言葉に出会いました。まさに現代日本を象徴している言葉です。時代や国によっては一杯の水を得るための争いが絶えませんでした。公園の蛇口をひねれば無料で水が出るのに、その水を求めて列をなすことがないほど日本においては水があたりまえにあります。お金がないから、時間がないから、人がいないから、不足するからこそ求めますし、そのありがたみが分かるというものです。


 人生においては気づいた時にはすでに遅いということもあります。末期となってしまった病気、修復不可能な人間関係、取り返しのつかない不祥事など、この社会では自由が認められてはいても、厳しい自己責任もセットなのです。私も「いつまでも、あると思うな何事も」と自戒しています。心配や不安で苦しむのも、怠慢や傲慢で苦しむのも、どちらも正しき道ではありません。「まだ足りない」と「あたりまえ」とは違う「ありがたい」の道を歩まなければなりません。


 感謝の心は何事も疎かにすることがありません。今できる精一杯を尽くすことができるのです。感謝の心に条件はありません。「ありがたい」と思えれば人、時間、チャンス等すべてを大切にでき後悔しない生き方ができるようになります。人生とは有限な生活のなかで、いかに満足するかが問われます。満たされるべきは物でも通帳でもなく心であり、「ありがたい」と思えることで自然と心は満たされていくのです。