相手の立場

 前回ご紹介した当寺発祥の地へ参拝し、さらに周辺の寺院へも参拝してきました。1ケ寺は新型コロナウイルス蔓延のため閉められており、入口から真っ暗な堂内に参拝して終わりました。もう1ケ寺は拝観を希望すると、以前はなかったお祓いと法話でお迎えいただきました。しかし、拝観料500円でお祓いいただくのは忍びなく、また法話は延々と続き途中で疲れてしまいました。おそらくコロナ禍のなかで頑張っておられるのでしょうが、それが周囲にとってはありがた迷惑ということもあり、頑張っているという自負が悲劇となりえます。


 時代に応じた取り組みが大切だと考えています。何事においても相手があってのものですから、自分中心ではなく相手を優先しなければなりません。ところが、いちいち相手に聞くわけにもいきませんから、相手のことを自分で考えなければなりません。大切なことは相手のことを考えるにあたり、自分という存在を忘れるということです。どうしても自分の価値観が入ってしまうと自分ファーストになってしまいます。


 相手の立場に立つということは意外と難しいことです。経営であれば利益とサービスの天秤で揺れ、人間関係であれば自由と我慢の天秤に揺れるものです。取捨選択というわけにはいきませんからバランスが大切なのだと思うのです。年齢や地位に関わらずどのような相手であっても尊重するということが大切です。その気持ちさえあれば自然と相手のことも分かるようになると思います。