やってはみたのですが

 現代の特徴に中途半端ということがあるように思われます。「やるだけやってみたのですが」と言ったとき「どれだけやったのか」はなはだ疑問ということがあります。すぐにあきらめて嘆いている人が多いように思うのです。失敗や挫折とは結果ではなく、あきらめてしまうことだと思っています。一時的な失敗はあきらめなければ成功へのプロセスです。つまずくことが悪いのではなく、つまづいて立ち上がらないことが悪いのです。


 失敗で終わるのか、成功へとつながるのか、その分岐点は想いの強さだと思うのです。簡単にあきらめてしまうのは想いが弱いからです。禁酒禁煙だけではなく、何事においても継続には想いという燃料が必要であり、その燃料がなくなった時に止まってしまうのです。想いとは有限でありかつ無限なものです。体力とは違いブレなければ見失わなければ、いつまでも自分を支えてくれる熱源となるのが想いなのです。


 想いがなくともなんとなく生きていける現代社会ですが、自分なりの想いがなければ充足も幸福もないと思うのです。自分は何をしたいのか、どうなりたいのか、想いがなければ進むべき道も見えません。想いが言葉となり行動となり未来になるのです。想いを持ち、その想いを育てていくことは、自らの人生を作っていくことなのです。何物にも代えがたい想いがあれば、どんなことにも耐えることができ、頑張ることができ、その先に幸福の花が咲くと思うのです。