悟りの本質

 仏教の講話をする機会がありまし。仏教の大きな特徴は信仰対象である仏に自分も成ることができることであり、仏教の究極の目標が仏になることなのです。仏になるとは悟りを開くということです。仏教の悟りとは難しい真理を理解することではなく、苦しみのなくなった状態のことをいいます。仏教ではこの世界は苦しみに満ちていると考えます。人生の根源的な苦しみである生老病死をはじめ自分や家族のことなど苦労も心配が尽きないものです。


 こういったことは避けることのできないことです。いかに文明が進歩しても、いかに逃れようとしても、生老病死をはじめ苦労や心配から逃れることはできないのです。ですが、逃れられないとしても、そこから苦しみを作り出さない状態が悟りなのです。お釈迦様は悟りを開かれてから約半世紀近くを現世で過ごされました。その間には弟子に裏切られたり、年をとり病に侵されることもありました。しかし、そういったことをありのままに受け入れ苦しみとはしなかったのです。


 おそらくお釈迦様は何があってもおだやかな境地で過ごされたのだと思います。喜びや苦しみがあるのではなく、喜びや苦しみを感じるのは自分自身なのです。苦しみがあるのではなく、苦しいと感じる自分がいるのです。そのように考えれば苦しみを作り出しているのは自分であり、苦しみを作ることをやめれば、苦しむ必要はなくなるのです。若い時の人生は自分で作っていくという感がありますが、後半戦になれば人生とは流れに乗っていくという具合に変わります。
 流れに逆らって衝突するのではなく、怯えることなく、憤慨することなく、焦ることなく、春の小川に浮かぶ笹船のように、流れに身を任せながら楽しくゆらゆらといきたいものです。



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