与えざる者

 貨幣のなかった時代は物々交換で生活していました。魚を捕るのがうまい人は魚を、木のぼりがうまい人は木の実を、手先の器用な人は道具を、野菜を育てられる人は野菜を。現代社会においては物々交換はなくなりましたが、人間関係はいまだに交換が基本だと思います。「ありがとう、おかげさまで」とお互いのやさしさを交換して、「バカヤロー、コノヤロー」とお互いの怒りを交換して、「悲しくて、寂しくて」とお互いの痛みを交換しています。


 自分は普段どのようなものを差し出しているのか。自分が相手に与えられるものは何か、それは相手が喜ぶものなのか、悲しむものなのか、憤慨すものなのか、たとえ嫌がられても相手にとって必要なものなのか。相手に対してどのような影響を与えているのかを考えなければなりません。私達は良くも悪くもお互いに影響しあいながら暮らしています。そのなかでお互いの関係性が築かれていきます。


 人が求めるものを与えられる人のところには人が集まり、人が嫌がるものしか与えられない人のところからは逃げていきます。ないものは与えられないというのが事実ですが、愛情や同情などが完全に欠落している人はいないと思っています。ただ、それらを向ける人の範囲が狭かったり、上手に表現できない人が多いのだと思うのです。何事も習慣であり、最初はうまくいかなくても、あきらめずに少しずつ自分を変えていくことはできます。私は卯年ですが、ウサギがライオンになることはできませんが、ウサギとしての能力や個性を最大限に活かしていきたいと思います。




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