布施の心

 私の知り合いのご住職がずいぶん昔ですが、インドでマザーテレサとお会いしたそうです。貧しい子供達へと様々な文房具をお土産に、施設を訪れたそうです。ところが、帰国してからしばらくして日本の新聞社がマザーテレサの特集を組み、本人のコメントとして日本人からの贈り物には心がこもっていないと書かれていたそうです。マザーテレサは自分がいらない物を持ってこられても善意を感じないとコメントしていたそうです。タンスに眠っている不要となった服を持ってくるのではなく、自分が着ている服を脱ぎ与え、その寒さを共有することが大切だと書いていたそうです。なんとも反省させられることです。
 
 仏教では布施ということを大切にします。布施とは相手に施しを与えることです。お金や物もそうですし、やさしい言葉や親切もそうです。ただし、見返りを求めたり、善行を誇るためであったり、義務や慣習としての施しは戒めるべきだとされます。ただ与えればいいという訳ではありません。布施をおこなうにあたっては、相手ではなく自分の心が問われるのです。マザーテレサの話を聞いた時に、東日本大震災において私がおこなった募金やボランティアは、はたして本当に相手のためになったのかと考えさせられました。
 
 善行といえば聞こえは良いのですが、無心の善行とは難しいものです。どうしても、人間は何をするにも計らってしまうものです。海外に行くとチップを渡さなければならない国もありますが、日本人はチップを渡すのが下手だそうです。不慣れということもあるのでしょうが、感謝の気持ちをあらわすことが苦手なのかもしれません。慣れた国の人はさりげなく自然にチップを渡すそうです。「ありがとう」という気持ちを素直に行動であらわすのも難しいものです。
 
 つまずきそうな人に無心で手を差し出すように、余計なことを考えずに布施ができればと思います。自然と心と体が動く人になれたらと思うのです。私などは、どうしても損得を考えて行動してしまうほうです。相手ではなく、自分にとって得なのか損なのかを考えてから行動してしまいます。きっとマザーテレサとお会いしていたら失望させていたことでしょう。人は年齢と共に純粋な心が濁り奸智に長けるようにもなります。そういった計らいを捨てたところに、布施の心があるのです。坊主としてもっと心を磨かなければと思うばかりです。


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