お参りの意義

 お参りや写経をすると心が軽くなりすっきりとします。これは実際に経験してもらわないと分からないのですが、おんだか心がおだやかになるのです。私達はイライラしたり悲しいことや嫌なことがあると、心が重くなり自分のことしか見えなくなってしまいます。そのため、誰かを傷つけたり、失敗や後悔することが多くなってしまいます。ところが、おだやかな気持ちでいると不思議とまわりのことがよく見え、相手のことを考えられる余裕が生まれるのです。おだやかな気持が思いやりの心につながっていくのです。
 

 仏教では無心とか無我という言葉をよく使います。私はおだやかな気持ちでいることが、無心や無我につながっていくと考えています。おだやかな気持ちでいることで、自分にとらわれなくなるのですから。無心・無我とは怒・非・憎・怨・欲・羨などの感情にとらわれることなく、思いやりの心で相手に接することなのです。人はお互いに思い合わなければ幸せになれないのですから。仏教の説く幸せへの道なのです。
 

 日本では平安時代頃から様々なご利益が説かれるようになり、ご利益を求めるお参りが盛んになりました。ですが、一番のご利益はおだやかな気持ちをいただくことなのです。私達はいただいたおだやかな気持ちを、少しでも長く心にとどめなければなりません。そして定期的にお参りして、おだやかな気持ちを補給することで、おだやかな生活を得ることができるのかもしれません。

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