盲目の社会

 コロナ禍によりリモートワークがずいぶん増えたようです。仏教においては昔から代参や遥拝というものがあります。お参りに行くことができないので、誰かに代わりに参拝してもらうことが代参です。また参拝に行けないため、自宅などから社寺仏閣の方角を向いてお参りすることが遥拝です。また、試験や手術の時間に合わせての祈祷を依頼されることもあります。祈祷や祈りは距離や時間を超越するものです。


 目の前に相手がいることで、会話ばかりではなく表情や態度など受け取るすべての情報をもとに人間関係が築かれていきます。また、相手への印象や感覚といったものも直接会わなければ分からないものです。リモートでは得られる情報が少なくなるため大事な判断はするべきではありません。商談などもプレゼンよりも前後の挨拶や何気ない会話のほうが相手の人間性をつかみやすいものです。営業など必要なかったとコロナ禍で思うかもしれませんが、直接会うからこそ得られる信頼関係もあると思います。


 どんなに科学技術が進歩しても人間の大事な部分は機械を通しては見えないものです。マッチングアプリも話題ですが、出会いや縁を人工的に作ろうとしても、本物には敵わないものです。コロナウイルスとの共生が必要となり、自由に会うことが制限され続けるとすれば、相手を想う心や信じる心がますます大切になると思うのです。会えないからこそ、家族や友人への想いが強くなり、それによって心を満たすということも必要になりそうです。コロナ禍によりストレスを溜めるのではなく、どうせなら想いを高めたいものです。