流されない

 働きアリも全員が同じように働いているわけではなく、働かないでフラフラしているアリもいるそうです。しかし、そういう生産性のなさそうなアリが新しい餌を見つけてくるそうで、それぞれの役割があることがわかります。人間も効率よく最短距離を進むことが最善とはいえないのかもしれません。自分の興味や仕事と関連することばかりをしていると、視野が狭くなり自分の世界が小さくなります。


 限られた人生においてはただ全力で走り続けるよりも、休憩したの遠回りしたり、そういったことがゆとりにつながるのではないかと思うのです。進んだ距離よりも、自分が歩いてきたなかでどのような経験をして何を得てきたかが大切です。定年となり何もすることが見つけられず魂の抜けた状態になるのは、指示されないと何もできない習慣が見についているからなのかもしれません。


 どのような組織に属していようとも、どのような関係性のなかで生活していようとも、主体的に生きなければなりません。自分の意志で進み、自分の意志で寄り道しなければなりません。何事も自分で考えることが苦手な人がいます。ですが、自分以上に自分の人生を考えてくれる人も責任を取ってくれる人もいないのです。両親でさえも最後まで面倒を見てくれるわけではありません。それどころか両親を見送るのがこの務めであります。


 どのようなに生きていようとも命の砂時計は確実に減っています。耕さない土に豊かな実りがないのと同じように、責任を持って自分の人生を耕さないと、人生の果実を得ることはできません。自分という人間がどのように生きることが最善なのか。その答えは世間の価値観や周囲の生き方にあるのではなく、自分で見つけていくしかないのです。




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