タイムマシン

 もし人生をやり直せるとしたら何歳に戻って、何をするのだろうかと考えてみました。人生をやり直したいというのは人間の大きな願望であり、叶わないと知りつつも、つい空想してしまうものです。そんな人間の思いからタイムマシンという発想も生まれてきたのかもしれません。ですが、どれだけ昔に戻ろうとも、仮に今の記憶を保持していたとしても、何も変わらないのかもしれません。過去に戻ろうとも別人になるわけではありませんから、結局は今と同じような道をたどっていくのではないでしょうか。私は今までのたくさんの必然によって、今こうして存在しているのです。過去に戻ろうとも、その必然を変えることはできないのかもしれません。
 

 過去に戻りたいと思うのは後悔の念があるからなのかもしれません。「もし、あの時〜しておけば」と、人は数え切れない「もし」という仮定を抱えて生きているのです。人生とは選択の連続です。選択してきた数だけ「もし」が存在するのです。すでに確かめようのない「もし」を証明するために過去に戻りたいと願うのかもしれません。叶わないと知りつつも願い、考えてもしかたがないと知りつつも考えるのが、人間なのでしょう。
 

 我々は過去に戻ることも未来に飛ぶこともできずに、現在という歩みの遅い亀の甲羅のうえに乗っているようなものです。今という時間は一瞬であるはずなのに、終わることがなく、もどかしく、そしてどこまでもついてくるのです。のろまな亀のようなものなのに、けして逃れることのできない「今」という時間とこれからも付き合っていかなければならないのです。ですが、昔話では亀が足の速いウサギに勝ったように、着実に歩を進める者だけが、様々な意味で勝者になることができるのです。過去にとらわれ今を見失っても、未来に思いをはせ今をおろそかにしても、今という現実世界で幸福を得ることはできないのです。私達が唯一思い通りにできる「今」を大切にしなければならないのです。今という時間を力の限り生きなければならないのです。

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