胃痛と苦悩からの解放

「なぜだろう」とか「どうしてだろう」と考える習慣を持つことは大切です。人間は思考しないロボットとは違い、希望や願いを持って生きており、その根源には考えるという尊い行為があります。考えるからこそ、人間は幸福を獲得することができるのです。もし、考えるということがなくなれば、日々無機質に同じことを繰り返すばかりで変化も成長もない、死ぬほど退屈な生活になってしまいます。日々のおだやかさに感謝する生活とは異質なものなのです。


 転機を迎えると哲学や偉人伝に興味を抱く人もいますが、それは思考を欲しているからです。そして「私は何のために生きているのか」という人生最大の疑問に対峙しようとする姿勢でもあります。これは数学の公式のように絶対唯一の答えがあるわけではありませんが、自分なりの模索と結論によって人間は安定していきます。あとは自分が現時点で到達した答えにどれだけ満足できるかであり、そこから年齢と共に変化していく環境にあって柔軟に価値観を変えていけるかにかかっています。


 この世界の現象にはすべからく意味があります。その意味に気づけるかどうかで、同じことをしていても中身がまったく違ってきます。物事の意義を見出すのは思考であり、その思考の広さや深さが、そのまま人生の広さや深さへとつながっていきます。判断を他人に委ねたり、決断から逃れようとせず、積極的に考える姿勢が大切です。考え抜いた結論は、結果のいかんに関わらず、私達に満足をもたらしてくれます。胃痛と苦悩に苦しむような思考ではなく、もっと前向きに徹底して考え抜いてみることも時には必要ではないかと思うのです。




応援クイックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村