求める生活

 先日、地域を元気にしようと様々な活動をしている若者グループが集まるイベントがありました。そのなかりパネルディスカッションで「活動をしているなかでの困難や苦労はありましたか」とコーディネーターが質問しました。パネラー達はそれぞれの実情に応じた返答をしていました。最終的には、様々な苦労を乗り越えて活動を続けていくことが大切だとなったのです。
 
 今の日本を見ていると「与えられた生活」をそれぞれに享受しているように感じるのです。厳しい世相のなか、楽な生活ではありませんが、自ら求めることなく与えられるのを待っているように見えるのです。それは社会や家族がなんとかしてくれるという願望と、自分ではどうしようもないという無力感が、融合した心境なのかもしれません。ことに若い世代には、その傾向が強いように思います。
 
 高度成長期からバブルにかけて衣食住が満たされ、ことさら苦労を求めなくても、それなりの生活ができるようになりました。餓死する人はいなく、橋の下での生活を強いられる人もいません。そういう時代に生まれた世代にとっては、まさに与えられた生活でした。時代が移り不況となっても、世界的に見れば充分豊かな生活を享受しています。たとえば、誘ってもらうのを待つ、採用されるのを待つ、結婚できるのを待つと、活動していても精神的には待っている状態で、積極的に求めることが少ないように思えるのです。
 
 与えられるのを待つ生活とは、たとえ困難や苦労が伴っても積極的に行動しようとする気持ちが希薄になってしまいます。生きることは困難の連続ですが、それらに耐え乗り越えようとするところに生きる喜びが生まれるのだと思うのです。ところが、待っているだけでは達成感や喜びにつながらないのです。そのため、ますますつまらなくなったり無気力になったりしてしまうのです。これからは積極的に求め、それに伴う困難や苦労を乗り越えようとしなければなりません。それによって生きている実感や喜びが生まれてくるのではないでしょうか。


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