私のプライド

 中国ではゼロコロナ政策に対するデモが頻発しているようです。もう我慢の限界といったところでしょうか。中国政府もゼロコロナ政策の転換を示唆したようで、世界中に影響を与えている政策がどのように変わっていくのか、気になるところです。以前の中国ならば、デモに屈することなく制圧していたことでしょう。体面を重んじ、間違いを求めるようなことはありませんでした。


 意地を張るから苦しくなるのです。素直に謝ってしまえば、間違いを認めてしまえば、すべてまるく収まるのに、それができない人が多いものです。時間が経つほど、できなくなりますから、とっさに反射的に非を認めることが大切ではないかと思うのです。宿題にして持ち帰るのではなく、その場で片づけてしまえば楽なのです。


 プライドという言葉を勘違いしている人がいます。プライドとは自尊心や自負心と訳されますが、謝らないことではありません。自分に非があると思えば素直に謝ることをプライドとしてほしいものです。人を見下すことがプライドではなく、誰とでも誠実に対応することをプライドとしてほしいものです。意地を捨て、見栄を捨て、欲と怒りを捨て、このように不要なものを捨てることができれば、どれだけ日々の生活が楽になることか。少しでも実践してみたいものです。