悲観的に考えて楽観的に

 当山の起源となる山岳信仰について学ぶため現地に足を運んでいますが、現在は跡地となっています。明治前後の廃仏毀釈によって、建物はすべて失われてしまい、難を逃れた仏像が当山に伝えられています。周辺の歴史を調べると同じように消失した寺院もあれば、建物はそのまま神社になったところもあります。今回参拝したところはいち早く神社になったことで、貴重なお堂や文化財が残されていました。


 廃仏毀釈という日本における宗教弾圧のなかで、信仰を護るのか、本堂や文化財を護るのか。難しい判断だったと思います。何を大切にするのかという選択であり、正しい答えがある問題ではありません。どちらも失うものは大きく、苦渋の決断だったと思うのです。いつの時代にもターニングポイントがあり、いち早く気づき、いち早く対処することが大切です。


 他人事ではなく、自分事ととらえることで、先手を取ることができるのです。対岸の火事と思い込み、いつの間にか尻に火がついてからでは遅いのです。私は悲観的に考えてから楽観的に考えることが大切だと思うのです。最悪のシナリオがあり、そこから希望をもって歩んでいくイメージです。今後ますます変化の激しい時代になりますが、変化の波に翻弄されることなく、希望をもって臨みたいものです。