短所の緩和

 いつも自分が正しいと思うことは傲慢だと思うのです。私などは何を言っても何をしても、これで良かったのかと思い悩むことが多くあります。それがストレスとなり自分を苦しめる原因になってはいけませんが、日々の言動を確認し反省することは必要だと思うのです。人間は年を取るほど傲慢になりやすいものですが、「実るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉(歌?)がありますが、学徳が深まるほど謙虚になるたとえとされます。賢い人ほど謙虚なものです。


 反省があるからこそ成長があると思うのです。知識を増やすのではなく、人間力を磨くことが大切であり、そのためには社会生活のなかでの反省が必要なのです。反省は自己嫌悪のためにするものではなく、より良い明日を迎えるためのものなのです。ひとつの欠点を改めることができれば、その欠点のために将来的に起こったであろう100のトラブルを未然に防ぐことができます。そうなればより良い明日になることは必然なのです。


 仏教では苦しみがなくなった状態を悟りといいます。何か特別な真理を得ることではなく、悩み苦しむことがなくなった状態なのです。その状態を保ち続けるためには相当の修行が必要になりますが。仏教ではなくとも、自分のマイナスをなくすことができれば、日々の生活はおだやかになっていきます。長所を磨くこと、短所を緩和すること、どちらも大切ですが、すべては反省から得られることなのです。