新興宗教の罠

 テレビでは連日ある新興宗教が取り上げられています。多くの人がどうして、あんな宗教にはまってしまうのかと不思議に思うかもしれません。ですが、人生には様々なことが起るもので、特に不幸や困難な出来事に遭遇すると、人間は自分以外のところに原因を求めようとするものです。そこに宗教との接点があり、新興宗教は積極的にそういう人を探して勧誘するものです。声をかけられた宗教がどういうものか分からないまま、自分の理不尽な疑問に答えを与えてくれると、信じたくなってしまうものなのです。


 私達は不幸や困難な出来事に遭遇すると、「どうして私ばかりが」と落ち込みますし、憤慨しますし、その原因を探そうとします。ところが、その原因がなかなか見つからないと、または納得できないと、昔から霊的な世界に原因を求めようとする人もいます。いつの頃からか過去世と業(カルマ)が融合され、祖先や過去世の自分が作った罪が現在の不幸や困難の原因になっていると勝手な解釈がおこなわれるようになります。そして、その罪を清算するためには寄進しなければならないという教義は古今東西さまざまな新興宗教で説かれていることです。


 現在の自分に責任がないのは楽なように思えますが、そうではなく自分の力が及ばないということは、自分ではどうすることもできないことになってしまいます。だからこそ寄進をするという論理は間違いなのです。仏教では因果応報といい、現在の不幸や苦難はすべて今の自分が作ってきたものだと考えます。反省して自分を変えていくところに道が開かれるのです。お金を払って人生が変わることはありません。変えるべきは自らの価値観や態度や行動なのです。自分の力で人生を切り開いていきたいものです。そして、自らの努力を見守ってもらう存在が神仏なのです。