自他平等の世界

 最近、世代間のギャップを感じることが多くなりました。考えてみれば高校時代からスマホを使っている保護者からすれば、子供にスマホを与えることは当然のことなのかもしれません。米食よりもパンや麺食が多い人からすれば、米価低迷には興味はないのかもしれません。今の自分の生活が基準であり、それ以外の視点や思考というものには、なかなか思い至らないものです。


 自分のなかの「あたりまえ」と相手の「あたりまえ」が同じとは限りません。その違いを認めることは大変なのですが、お互いに認め合えなければ、おだやかな生活は成り立ちません。違うことが前提であり、その違いを埋める努力と、その違いを認める配慮が必要なのだと思うのです。自分が持っていない価値観は非常識なのかといえば、そうではないはずなのです。


 人はそれぞれ自分を基準にして生きているわけですが、だからこそ自分の器量や度量を大きくしていかなければ、周囲を受け入れることはできません。年齢に経験や自信も伴っていくものですが、それによって傲慢になってしまえば意味がありません。自分中心の世界に平安はなく、自他平等の世界こそ我々が目指すべき場所なのです。自分と相手とのバランスが取れてこそ、関係も安定するのです。