自力と他力

 電車はレールの上を自力で走っているのに対して、飛行機や船はそれぞれ気流や波の影響を受けるため自力とはいえません。仏教にも自力と他力があり、自力は自分の力で悟りを得ようとする修行であり、他力は仏様の慈悲と自らの信心によって悟りを得ようとするといえます。私は上下優劣があるわけではなく、選択肢があることは良いことであり、自分に向いている道を歩めば良いと思うのです。


 私は自力を説く宗派に属していますから、その道を歩まなければならないわけです。たまに他宗派に憧れることもありますが、それぞれに魅力があります。日本の歴史においても宗派の争いもありましたが、現代は何事においてもお互いの違いを認め合わなければならない時代といえます。さらには力を合わせて日本を正しき方向へと導かなければならないのですが、本来の使命を忘れてしまった聖職者が多すぎるのかもしれません。


 自力の門に属しながらも導きのようなものを感じることがあります。自分で頑張るだけでは得られないような閃きがあり転機があり出会いがあります。偶然ではない必然のような出来事に恩恵のようなものを感じるのです。その恩恵がどこから訪れるのかは、その人の考え方によるところです。人生も電車のように決まったレールを走るのではなく、波によって運ばれる船のようなものかもしれません。波に任せて生きるのも、また楽しいのかもしれません。