付加価値という幻想

 付加価値という言葉が氾濫しているように思えますが、どうも楽をして儲けたいと解釈している人もいるようです。付加価値は価格を高くするための言い訳ではありません。自分ではなく相手がその価値を認めなければ意味がありません。いかに価値を創造するかと考えれば、思うほど簡単ではないように思うのです。そのため価値の伴わない便乗値上げが横行することになります。


 値下げ競争に疲れ果て、そこから付加価値という流行りが生まれましたが、低価格はシンプルで分かりやすいのに対して、付加価値は絶対唯一の価値基準ではないため、分かりにくく伝えるのが難しいものでもあります。私は手間や時間をかけるか、お金をかけなければ付加価値にはならないと思っています。高くした以上のものがなければ、価値はあがりません。


 利益追求のための付加価値は便乗値上げにしかなりません。相手に喜んでもらおう、快適な生活を送ってもらおうという気持ちがあってこそ、新しい価値を創造できるのだと思うのです。事業は能力や資格ではなく、思いやりとセンスだと考えています。そういった資質を磨いてこその付加価値なのです。コロナ禍はまだ続きそうです。業種によって明暗は分かれますが、どのような事業であれ新しい方向性を見出していかなければなりません。その時、大切になるのが思いやりの心なのです。