商売の極意

 昨年、住職になってから新しい企画を試みています。ありがたいことに好評な企画もありコロナ禍にあってもご参拝いただいております。どちらかといえば私は仏教界よりも観光界にいる時間が長いのです。地元が温泉街ということもあり観光振興の会議や観光誘客のセミナーなどに参加する機会も多くあります。そのため私の感覚や感性は僧というよりも商売人なのかもしれません。


 観光地や温泉地はしのぎを削っているわけですが、社寺仏閣の世界は時代の流れとは無縁にゆったりとしたものです。それは私には衰退にしか見えないのですが、そのおかげでニーズと注目を得ているともいえます。たとえばご朱印はコロナ禍で印刷したものに日付を入れるだけの所が多くなりましたが、私は朱印帳も色紙のおみくじもすべて手書きしています。コロナ禍を言い訳にせず楽をしないようにしています。


 神仏も商売の世界も相手に喜んでもらうことが基本だと思うのです。利益を得るためではなく、自分の仕事が誰かの喜びや役に立ち必要とされることが大切なのです。自分のための努力は欲に溺れやすく道を誤るものです。相手や社会のための努力が正しいのであり、そういった努力をしてこそ成長でき報われるのです。「こんなに頑張っているのに」と嘆く人は努力の方向性について考えてみることです。我執から離れれば正しい道が見えるようになります。