写経の極意

 当山では写経体験を受付けています。動機も感想も様々で正しい答えがあるわけではありません。まずは体験してみることが大切ではないかと思っています。体験しないうちから論ずるのではなく、やってみる、続けてみる、その先に自分なりの答えが見つかるはずなのです。日本では奈良時代から写経がおこなわれ、時代によって目的も変わってきましたが、今の時代にこそ必要なものだと思っています。


 現代は暇だとすぐにスマホをいじります。静かにたたずむ時間が欠落しているのです。夕日が沈むのを見ながら人生について考える人は少ないと思いますが、そういう時間も大切なのです。個人的に写経とは自分の想いを高め清める修行だと思っています。写経をしていても無心にはなれないものですが、それでいいのです。様々な想いを抱えながら、写経をしていくことで、その想いが清められるのです。


 ぎっくり腰はたまった疲労が突然あらわれます。くしゃみをしてぎっくり腰になる人もいるそうですが、くしゃみはきっかけであり、原因は疲労です。写経によって想いが清められていくと、ふとした気づきを得られることがあります。今まで考えもしなかったことです。今までの自分よりもひとつ高い視点といえるかもしれません。様々な気づきがパズルのようにつながり、新しい自分に成長することができるのです。いかに自分の想いを高め清めるか、その方策のひとつが写経なのです。