答えはあとから

 「そういうことだったのか」という理解が、あとからついてくることがあります。学生時代に必要性を感じなかった教科も今になってから勉強しておけばよかったと後悔します。高校時代に片道9kを自転車で通っていた頃は疲れるだけで不満しかありませんでしたが、あの通学が体力と根性を養ってくれたと感謝できます。厳しさも困難も悲しみも、時間が過ぎれば必要なことだったと思えるようになるかもしれません。


 今の時点ですべてに答えをだす必要はないと思うのです。上手に棚上げにしておくことで、あとからより素晴らしい答えを得ることができるかもしれません。不本意な環境にあると、どうしても都合の良い答えを作りたくなるものです。やめてしまうことは簡単なのですが、簡単なほうの選択は失敗や後悔につながりやすいものです。


 生きてさえいれば、続けてさえいれば、信じてさえいれば、なんとかなるものです。もちろん、どうにもならないこともありますが、そこは慎重な判断が求められます。まずは頑張ろうと思うことです。そう思うことで知恵が生まれ、仲間が生まれ、チャンスが生まれます。意味がないと思えることで、成長すれば意味を見出せるようになります。慌てて答えを求めるよりも、今できることに専念していきたいものです。