分かれば簡単なのに

 先日、当寺の発祥の地へ参拝してきました。江戸時代後期にその場所から現在の場所に移ってきました。もとの寺院は廃仏毀釈のため焼き討ちされ、現在は石仏、石塔、礎石などが残っています。住職になったことから挨拶のため参拝したのですが、私のルーツでもあり感じるものがあり、定期的に参拝することにしました。参拝すると温かく包まれるような感覚があり、帰ってくると何事も調子が良くなります。


 もしかしたら「お参りせずにはおれない」という気持ちをはじめて実感したのかもしれません。参拝者の皆様をお迎えするには最も理解しなければならない気持ちだったのですが、ようやく得ることができたのかもしれません。何よりのご利益といえます。人の気持ちは頭で理解するものではなく、我がこととして心で実感できなければなりません。心を主として生きている人間とって心で納得するということが大切なのです。


 年齢と共に今まで理解できなかったことが「そういうことだったのか」と納得できることが多くなりました。それは答えが分かったナゾナゾのようなものであり、分かってしまえば簡単なことなのです。こんな簡単なことに気付けるまでに、どれだけ無駄な時間や労力を費やしたのかと思えば馬鹿らしくもなりますが、そういうものなのでしょう。これからも多くのことに気づき、納得できる人生を歩んでいきたいものです。