誰のための社会なのか

 隣町で数年前に自殺した方が長時間労働を強いられていたと調査委員会が公表したことがニュースになっていました。詳しい原因究明は必須ですが、いかに調査しても本人が戻ってくるわけではなく、けして命の時計を戻すことはできません。願わくば同じような犠牲者が出ないことを祈るばかりです。人は仕事を通して自己実現を図り、また生活の糧を得ることで自立した社会生活を送ることができる訳ですが、「有意義な仕事」と「相応の報酬」の両立が難しい時代でもあります。もしかしたら、そのどちらでもない仕事も多いのかもしれません。


 小泉政権以降の人件費を資産ではなく経費と考え、いかに削減するかという風潮が仕事へのモチベーションを低下させ、リストラの不安を増大させ、現在の様々な社会問題の原因となっていることは否めません。人材こそが会社を発展させる原動力なのですが、会社が消耗品のような扱いをするから支障をきすようになり、そのため会社は人材を確保できなくなりAIという時代の潮流を頼み人間を必要としないシステムを作ろうとしています。


 働くということが会社にとっても個人にとっても相互利益にならなければなりません。現在のお互いにケンカをしているような状態に終止符を打ち、仲良く手をとって新しい時代に進みたいものです。人間のための社会で人間が必要とされなくなったら、誰のための社会となるのでしょうか。