区別と執着に埋もれて

 仏教の特徴も様々ありますが、そのひとつに仏教ではどこまでも自分と向き合っていくということがあります。他の宗教であれば絶対唯一の神との関係性を重視します。仏教にも仏という存在がありますが自身も仏であり、自らの仏性を通して大いなる仏とつながっていくと考えます。仏があり自分があるのではなく、仏と自分がつながっている一体なのです。


 すべてが平等につながっているのがこの世界であり、そのつながりを確認するのが仏教といえます。空から降ってくる雪は誰のものでもありませんが、ひとたび屋根に積もればその家の雪となり、その雪が隣の敷地に落ちればトラブルとなります。誰のものでもない雪でさえ争いの原因となるほど、私達は本来のつながりを忘れて自らに固執しているのです。そのため様々な苦しみが生まれると仏教では考えます。


 区別するほど細分化するほど様々な争いや苦悩があります。避難所などに行けば支援品などはみんなの物であり、共同生活を営みます。そういった生活を送ることもできるのに、通常は自他の区別に埋もれています。現代の生活ではいたしかたないことなのかもしれませんが、区別と執着は苦悩の種となります。区別は区別としながらも、執着せずに暮らしたいものです。自分一人のためにこの地球が回っているわけではなく、この世界に住むすべての人がつながり回っているのです。