本当の会話

 お釈迦様がある農夫に供養を求めた時「私は毎日この畑を耕しています。あなたも食べ物をもらおうとはせず耕してはどうですか」と反論しました。お釈迦様は「私は心を耕す者です」と応えたそうです。この言葉よりもお釈迦様の雰囲気や態度に嘘偽りがないからこそ農夫は納得したと思うのです。


 論語には「巧言令色少なし仁」という言葉がありますが、言葉巧みな人ほど口先だけということがあります。現代は偽りの言葉が氾濫しているように感じられ、そのため人を信頼できなくなっているのかもしれません。言葉は大切なコミュニケーション手段ですが、その言葉が軽ければ、相手の心に響くことはなく人を動かすことはできません。


 言葉を尽くして説明することよりも、日々の行動のほうが大切だと思うのです。「あの人の言うことなら信じられる」という場合、その人の言葉や話し方よりも、日頃の態度や関係性によるものです。人柄によって、同じ言葉であっても相手に与える印象が大きく違ってくると思うのです。信頼関係のない会話は虚しいものです。お互いが自分の言葉に責任を持って、日々の行動に反映させるならば、信頼できる有意義な会話になるのではないでしょうか。

 

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