最後に笑うために

 私達は様々な問題にぶつかるとすぐに答えを求めたくなります。その答えとは苦労や苦悩から解放されるための答えであり、早く楽をしたいために求める答えなのかもしれません。ですが、楽をしたいために求める答えに救われることはありません。私達が暮らすこの社会とはそんなに単純なものではなく、世の中に楽をして得られるものなどありません。すべて相応の対価を求められるのです。


 夢を実現するためには努力という対価を求められ、反対に日々怠けていても自業自得という対価を求められます。何をしてもしなくても対価を求められてしまうのが人生なのかもしれません。ならば幸福へとつながる対価を支払いたいものです。幸福への対価とは今支払うものです。不幸への対価とはあとから支払うものです。たとえ大変でも今すべきことを今すればプラスになります。面倒で今すべきことを棚上げにしてしまうとマイナスになります。


 さらに今するにしても楽な方法で手を抜くのか、それとも面倒でもちゃんとするのかで大きく違います。何事も効率が求められる時代ですが、楽をして得られるものは限られています。苦労すべき時には苦労し、苦悩すべき時には苦悩することが、長い目で見れば役に立つのです。夏休みの宿題と同じで今楽をすることは必ず後々の後悔につながります。人生も夏休みの宿題の延長線上にあります。最後のほうで泣くことがないよう、今のうちから頑張りたいものです。

 

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