豊かさゆえの苦悩

 自分の気持ちが分からないとか自分が何を求めているのか分からないという人が多くなっています。それは自分のなかに強い想いがないためではないかと思うのです。仏教では欲望を否定しますが、強い想いが良くも悪くも人を動かすものです。人間の根源的な欲は食欲や睡眠欲など生命を維持するための欲です。半世紀前までは人間の基本的な欲求を満たす生活を享受できたのは一部の特権階級だけであり、一般的には生きるために生きるというものが普通の状態だったと思います。


 現代は生きていくための基本的な欲求は満たされています。人類が到達した最高の生活といえるのではないでしょうか。しかし、命の危機を感じることのない生活は満たされているようで、満たされていないのかもしれません。生命の危機を感じることなく生活できると、人間は次の段階の欲求を持たなければなりません。次の段階の欲求とはそれぞれの自己実現ということになります。自分なりの目標を実現していくことを喜びとするようになります。


 自己実現とは食べるとか眠るという本能的な欲求行動ではなく、より高い次元の意識や能力が求められます。それは達成困難でもあり、高いハードルに苦しむことにもなります。生きるために生きるのではなく、どのように生きるかが問われるようになります。まして現代はそれぞれが自由に生きることが認められ求められています。これは豊かな社会ゆえの苦悩といえるかもしれません。生き方が問われた時に、何を目標にどのように生きるのか、自分なりの答えを出していかなければなりません。