愚かな人間も賢い人間も孤独です

 たいしたことではないと思っていたことが大事になることがあります。こういった場合の謝罪会見では「認識が甘く」とか「こんなことになるとは」といった発言になります。いわば本人と周囲や社会との認識が大きくズレていたということです。思考や認識には個人差があり隔たりがあるものです。自分がズレているのか、それとも周囲や世論がズレているのかも判断しなければなりません。


 自分のほうが間違っていることもあれば、周囲や世論が間違っており自分のほうが正しいということもあります。よくよく考えてみて自分が間違っていれば素直に反省し、自分が間違っていないと思えば勇気を持って進まなければなりません。革命や革新というものは理解されない反対のなかから芽生えてくるものです。もしかしたら愚かな人間も賢い人間も周囲から理解されない孤独の道を歩むということでは共通しているのかもしれません。まさに紙一重です。


 私などは周囲との面倒事にはうんざりすので、自分は自分、他人は他人という前提に甘えることなく波風立てることなく過ごしています。ただ「ここぞ」という時には温厚な自分を捨て去り、孤高の道を歩む覚悟もあるのですが、そのようなタイミングはなかなか来ないものです。これからも進むべき道を誤ることなく、それでいて平時はのんびりおだやかに暮らしていきたいものです。