流れる日々に終止符を

 この季節になると雪国では冬の準備がはじまります。冬タイヤの準備したり、庭木の雪囲いをしたり、除雪用具の点検もあります。雪が降ることを前提に生活していますから、多少の雪では生活に支障をきたさないのが雪国の暮らしです。事前に分かっていることに対して、いかに準備をしていくかということが人間の智恵だと思います。同じようなことで後悔している人は智恵を得るよう心がけなければなりません。


 なぜ人間が生きているのかといえば幸福になるためだと思っています。ところが現実の生活は忙しく予定と時間をただ消費していく日々なのかもしれません。そのような生活に疑問を抱きながらも流されてしまいます。流される生活から離れて幸福を感じられるよう準備や工夫が大切なのではないかと思います。人生は自分が費やしたものしか返ってきません。時間や労力を何にどのように費やしていくかを考えなければなりません。


 たとえば仕事から何を得ているのか。給料と引き換えに疲労とストレスを得ているのか。それとも給料とやりがいを得ているのか。この違いは、日頃どのような意識で仕事をしているかの違いだと思うのです。家族から何を得ているのか。給料を搾取され尊厳もなく不満をぶつけられるのか。給料で家族が笑顔で暮らすのか。この違いは家族との関係性をどのように築くかの違いだと思います。これから自分がどのようなに暮らしていきたいのか。そのためにはどうすれば良いのかを考えることで、流される日々に終止符を打ちたいものです。
 


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