後悔の源泉

 後悔先に立たずといいますが、後悔の多くは「なすべきことをしない」か「してはいけないことをする」のどちらかから生まれてくるものです。たとえば飲酒運転は法律でも禁止されていますが、軽い気持ちで運転して事故を起こしてしまえば生涯後悔しなければならなくなります。「してはいけないことはしない」というシンプルなことを守って生活すれば、人に迷惑をかけることも後悔することも少なくなります。それなのに色々な言い訳を作っては自分を正当化し一線を越えては後悔するのが人間の業というものなのでしょうか。


 あたりまえのことをあたりまえにおこなうことは意外と難しく意志の力が求められます。誘惑や言い訳に負けない強さがなければ、あたりまえの生活を送ることはできないのです。たとえ小さなことでも自分に負ける習慣がついてしまうと、自分を制御できなくなり、大切な所で大きな失敗をしてしまいます。「これくらいなら」とか「今回だけは」が口癖になっている人は要注意です。


 また、経験が乏しいと良いこと悪いことの判断ができません。たとえば会社の飲み会でも明文化されているわけではありませんが、座る場所からはじまり宴席のルールや配慮などもあります。面倒だからと敬遠していると知らないまま、大事な接待などで失敗することもあります。誰にも得手不得手がありますが、苦手なことを放置し知らないままにしておくと後悔することもあります。さらには恥をかいていることを知らないままということもあります。知らないということは恐ろしいことなのです。失敗が許されるうちに失敗して経験しておくことも必要です。


 この世界はシンプルであり、私達の生活も「為すべきことを為し、為さざるべきことを為さない」ということがすべてです。この単純なことを守るためには意志の力と経験による学びが必要です。日々の言葉や行動すべてにあてはめて考えることなのですが、私達は経験によってほぼ無意識に日常生活をおこなっています。ですが、自らが頼る経験が惰性になっていないか、新しい経験を智恵として活用しているのか、見直してみることも必要ではないかと思うのです。




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