変わるということ

 これからのことを考えて資格を取ろう、頻度が多くなったのでパチンコを止めよう、検診で注意されたのでタバコやお酒を控えよう、私達は様々な決意をするものですが、長続きはしないものです。たとえば刑務所ならギャンブルや飲酒ができなくなる強制力がありますが、自らの決意にはそういった強制力はありませんから、ひたすら自分との戦いになります。何事においても夏休みの宿題をしない子供と同じように、いくらでも言い訳をすることができます。しかも夏休みは一定期間で終わり切羽詰まって泣きながらでもやるか、あきらめて先生に怒られるかの選択ですが、人生は死ぬまで終わりませんから、願いながらも実行できない完了できない期間が何年何十年と続いてしまいます。


 私達はどこかのタイミングで今の自分と決別しなければならないのかもしれません。人生は一度だけですが、その人生を区切って新たにするという試みが求められます。誰しも様々な想いがあり願いがあり理想がありますが、その多くは日々棚上げされ続けています。今のままの自分ではこれ以上は進めないと思ったならば、切腹するような覚悟で今の自分を捨てなければなりません。今までできなかったことをするためには精神的に大きなパワーが必要です。その力は覚悟から生まれてくるものだと思うのです。リストラされて破産して病気になってから変わろうとするのではなく、その前に自主的に変わらなければなりません。誰しも自分の人生に責任を持たなければなりませんが、責任を持つとは現状維持することではなく、目指すべき道へと自らを導いていくことだと思うのです。



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