風格が備わる

 写経の法話で外国人の方に人間の幸せとは与えられるものではなく自ら作るものです。そして、仏様からそれぞれに相応しい幸福の種が与えられており、その種を大切に育てなければなりませんと話しました。仏教とは仏になる教えであり、自ら発心して仏道を歩みます。しかし、他の宗教では神様を信じ与えてもらうことが前提になります。神の思し召しであり、仏教の自力でという感覚がなかなか理解いただけないところです。


 私達は仏様からいただいた幸福の種を大切に育てなければなりません。それは心に盆栽を育てるようなものです。盆栽はちゃんと管理しないとすぐに枯れてしまいます。ところが好きでないと管理できないもので、父親が残した盆栽をあっという間に枯らしてしまったという話はよく聞きます。同じように私達もまず、自分のことを好きにならなければ、ちゃんと育てることはできません。自分がことが嫌いで枯らしてしまっている人もいます。


 自分ことを好きになれると心に栄養が通い元気になります。しかし、煩悩に翻弄され伸び放題になってはまとまりません。必要な枝は伸ばし、不要な枝は落としてバランスを整えなくてはなりません。取捨選択していくことで、バランスがとられ風格が生まれてきます。ただし、盆栽の素人が無学なままいじると大切な枝を落として不要な枝を残してしまいます。人生においても先人から学ぶことによって、要不要が分かるようになります。


 盆栽は一朝一夕で風格がでてくることはありません。長い年月をかけ手間暇を惜しまずに育ててこその風格です。この人はどのような人生を歩んできたのかと知りたくなるような風格やセンスを持つ人もいます。ある時に風雪に耐え、またある時は炎暑を忍び、どのような時でも自分を裏切ることなく歩んできた人生なれば風格も備わるのでしょう。私も愛着を持ち大切に育てていきたいと思います。



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