おだやかに旅立つ

 最近、おだやかに生活しおだやかに旅立ちたいと思うことがあります。人生は山あり谷ありですが、様々なことがありながらもおだやかに暮らし、避けることのできない死を迎えるあたってもおだやかにありたいと思います。このおだやかな心境というものはお金で買うことはできません。いかにお金があってもバタバタ・イライラして、人を見下したり怨んだりして生きているとしたら、豊かな人生とはいえません。


 おだやかな心とは祈りによって育まれるものだと思うのです。たとえば朝晩1分だけでも、朝には今日一日よろしくお願いします、夕べには今日一日ありがとうございました、と手を合わせるだけでも、ずいぶんと心がおだやかになります。また、参拝や巡礼など定期的に非日常の世界に身を置くことで安らかな気持ちをいただくことができます。祈りの時間を持つことによって、私達の心はおだやかになっていくのです。


 いつもおだやかな人がいます。人を選ばず、時を選ばず、場所を選ばず、誰に対しても同じように接します。有名な良寛和尚は3歳〜80歳まで同じように接したといいます。良寛さんの前では荒ぶる武士でさえ、借りてきた猫のようにおだやかになったのではないでしょうか。相手によって自分を変えないというものは想像以上に難しいことです。それを可能にするのは執着なきおだやかな心なのでしょう。心というものはお互いに伝染するものです。イライラを相手に伝えるのではなく、相手のイライラした心さえも包み込めるような大きな心でいたいと思います。



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