情と計算

 大先輩から子供を育てる時に情で育てるか、それとも計算で育てるかと聞かれました。テレビを見れば子供が大人になるまでにいくらかかるかという特集をしています。そういった番組を見れば、今の自分の経済力で育てられる子供の数を計算してしまうかもしれません。子供を褒めたり叱ったりするときも、心からそうしているのか、それとも子供の将来を考えてのことなのか、はたまた自分のためなのか。あまり考えることはありません。大先輩は生まれてくる子供は自分が食べていくだけのものを、ちゃんと持って生まれてくるのだから、何も心配せずに子育てをすれば良いとおっしゃっていました。


 いつも子供に対してどのような態度で接しているのか考えてみたいものです。計算で育てられた子供は親への感謝が乏しく、親が介護を必要としても助けてはくれないそうです。いかに親が懸命に子育てをしたと思っていても、子供がそのように思っていなければ意味がありません。忙しく働くよりも一緒にいて欲しいと思いますし、理解ある言葉よりも怒ってほしいと思うこともあります。自分が思っていると最善と子どもが求めている最善が違うことも多々あるものです。


 義理や人情というものが失われつつあります。政治家は選挙を考え、役人は保身を考え、会社は損得を考え、誰もが計算で生きるようになれば、そのような環境で育った子供達が暴走しないわけがありません。政治家や役人は自分のことなど考えずにこの国に尽くし、会社は株主や利益よりもこの社会に尽くし、大人は損得ではなく志と真心で生きるならば、自然と子供も社会も素晴らしいものになります。自分が死ぬまでにいくらかかるか計算するよりも、死ぬまでに周囲とどれだけ豊かな関係を築けるかを考えたほうが幸せになれると思うのです。




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