不平等の克服

 幼稚園の卒園式がありました。多くの子供にとっては人生で最初の社会であり集団生活のはじまりです。家庭においては特別扱いともいえるほど家族みんなが優先してくれるのに、幼稚園にいけば周囲の友達と同じく平等な扱いとなります。自分だけが特別ではない環境にあって、周囲との調和や自分の居場所を見出すことを学んでいかなければなりません。幼い子供にとっては過酷な事であり、しばらくは泣きながらの登園かもしれませんが、そこを乗り越えなければなりませんし、どんな子供も必要な適応力が備わっていると思います。両親が心を鬼にしてでも子供を送り出すことで、子供の能力が開花していくのではないかと思うのです。


 子供は生まれてくる条件や環境を選ぶことができません。生まれてきた家庭がすべてであり、変更することも逃げ出すこともできません。そして様々な両親がおり、色々な事情もあるものです。ですから、他の子供と比べて環境が劣っている子供もいます。虐待や育児放棄もあり、そこまでいかなくても様々な家庭の事情というものがあります。ですが、そういう子供は不幸なのかといえば、そうではないと思うのです。勝手な同情はかえって失礼なのかもしれません。


 どの子も環境などに負けずたくましく育つものです。もし途中で道を誤ったとしたら、それは環境のせいではなく本人の問題です。人生はやはり自己責任だと思うのです。言い訳すればいくらでも言い訳できますが、言い訳で救われることはありません。周囲を責めることから、成長してすべてを自分の責任として受け入れることで、今までとは違った道が見えてきます。不平等なのがこの世界であり、その不平等を克服して進むことが人生なのではないかと思うのです。蓮は泥の中で育ち美しく清らかな花を咲かせますが、どのような環境であれ最善を尽くしたいと思います。




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