醜いものへの理解

 持論ですが知者は書物から学び、賢者は現実から学びます。書物は理論や理想から成り立ち、現実は無常や矛盾から成り立っています。学生が大学でいかに勉強し知識を蓄えたとしても、それだけで社会に通用するわけではありません。理屈が通らないのが現実であり、理不尽とも思える環境にあって、生活していくための智慧を身につけなければなりません。


 会議では正論や優劣よりも、提案者の人柄のほうが優先されることもあります。あの人は嫌いだからどんな提案をしても賛成できない。あの人はいつも優しいからどんな提案でも賛成したい。提案内容よりも関係性が重視されるのも感情で生きる人間社会の特徴でもあります。提案には内容だけではなく、人柄など日頃のおこないも加味されるのが平等ともいえる全体評価なのかもしれません。


 社会で生きていくためには人間の弱さや社会の矛盾にも目を向けなければなりません。そういったものを理解できず知識や理想に逃げてしまうと、社会で生きることが苦痛になります。けして理想通りにはいかない社会ですが、理想を実現できない社会を責めるのではなく、実現できない理由に目を向け納得できなければなりません。自分や相手や社会にある醜いものまで理解しようとすることで、気づけるものがあると思うのです。


 どうしてイジメや犯罪がなくならないのか。悪いことだと誰もが理解しているのに、誰もが加害者になるかもしれないのです。虐待でも被害者が加害者になることがあります。子供への愛情を持った接し方を知らないために、暴力をふるってしまうのです。自分と同じ思いはさせたくないと思いながらも、同じことをしてしまうのは不幸なことですが現実にあるのです。人の心とはけして理想や道徳だけで成り立っているものではありません。そういった人の心を学ぶことで、その社会を理解することができるのではないでしょうか。


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