悪意対策

 私達の心は鏡のように自分に向けられた感情をそのまま相手に返してしまいます。優しさには優しさを、憎しみには憎しみを返すのが自然の反応ではないかと思います。日々の生活において相手の感情や態度に大きく影響を受けているわけです。いわば相手次第の生活をしているのかもしれません。すべてを相手に委ねて生活しているとしたら、私という人間の存在がよく分からなくなってしまいます。私という存在を確立するためには、相手に左右されない心が必要なのかもしれません。


 相手に左右されないとは極端な表現をすれば、相手から石を投げつけられても、私は石を投げないということです。現代人は外界からの影響に過敏すぎるように感じます。誰もが自分を守ることに必死で、しかしそのためにかえって傷つき疲れているような印象を受けるのです。相手からの悪意や憎悪などのマイナスの感情に翻弄されることなく、平静でいることができれば、誰もあなたの心を害することはできなくなります。


 ストレス社会といわれる現代において、外界からの悪しき影響を受けることなく生活することができれば、どれだけ素晴らしいことでしょうか。10人の人間がいれば必ず私とは合わない人間がいますし、私のことを嫌う人間もいます。相性というものがあり、すべての人間に好かれることはできません。できないことを、しようとするから苦しくなるのです。私と相性の悪い人間がいること、私のことを嫌いな人間がいることを、そういう存在を認めることができればかえって楽になれます。そういう存在を許せないからこそ苦しむのです。私にも好きな人や嫌いな人や苦手な人がいますが、それは誰も同じことで、私がその対象になりうることもまた道理というものです。この道理をどのように受け入れていくかが心の平安への道でもあります。無理して開き直るのではなく、自然なこととして受け入れられる寛容性が求められます。その境地を獲得するために人生は修行なのかもしれませんね。




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